2009/04/25

移動のこと

移動が好き。自分で動くよりも、何か乗り物が自分を運んでくれる感覚がしっくりくる。だから車とか自転車とかじゃなくて(それも好きだけど)電車とか飛行機。電車の中で無意識に眠くなる反応と同じかな。でも眠くなるというよりその逆で、覚醒してしまうのだ。
一番集中して頭の働く時は移動しているときなんじゃないかと思う。電車の中で本を読んだり、これはみんな経験あることだろう。 修士論文なんか上野までの行き来で書いたと言っても過言じゃない。 どうしてあんなに電車の中だと集中できるのか。初めは満員電車の不快さから逃避するために別のことに意識を集中させた方がいいからだと思っていた。うーん、たぶんそれが始まりで、さらにいろんな人が行き来するあのアノニマスな感じが安心感を生んでいるんだろう。これはスタバとかで勉強がはかどるのと同じ心理だろう。誰にも干渉されていない、けれど独りじゃない。
そういった究極の甘えがそこにはある。
それからひとつのことに集中するときに、他の多数が均質に流れていると、流される拠り所が掴めない。映画のエンドタイトルみたいな感じ。結局最後に監督の名前くらいしか見てない。 私はそれはそれはレイジーなので、他に誘惑がちらつくともうそっちに気がいってしまって、映画の予告編なんかで感情移入してしまって、本編にすぐには集中できない。
とにもかくにもあまりに電車の中で集中できるので、もう一日中乗っててやろうかと思って実際にやったこともある。でもこれが不思議とうまくいかない。これに気づいたときはものすごくガッカリした。せっかく集中できる場所を見つけたと思ったのに。そうは問屋が卸さない。 きっと理由はその移動に必然性がないから。そうすると図書館で勉強しているのと同じことになってしまうらしい、どうやら。
なのでますます必然性のある移動時間が貴重になる。おかげで移動はぎゅうぎゅう満員じゃなければそんなに苦痛じゃない。以前に移動性と意識の向かう方向についての文章を書いたけれど、そのときは移動し続けることで意識は深まるのか、という疑問を抱いたのだけれど、意外と移動してる時の方が意識は深まっているではないか。 うーん、じゃ移動しない時の意識の深まりかたとの違いは何か。これはまた次回考えよう。