2007/12/03

フィレンツェ・クリスマス仕様






Natale Natale!

オンニサンティが終わるともう後残すビッグイベントは
ナターレ(クリスマス)のみ!

てなわけで11月終わりからは
街の中心はイルミネーションできらきら。

ブランド通りのショーウィンドウは
いつもより気合いが入って
プレゼントモード。
夜は散歩に出る人がいつもより増えて
街がざわざわ。

写真1) もう少しで暗くなるぞ。アルノ川が一番キレイな瞬間。
写真2) カルツァイウオーリ通り。19世紀に幅員広げてよかったんじゃない!?
写真3) 一歩入ったブランド通り
写真4) 共通のデコレーション。コムーネの仕事なのかしら?

2007/11/08

熱海@イタリア







モンテカティーニ・テルメという小さな町に行きました。


フィレンツェから電車で小一時間。
ヨーロッパでは屈指のヴァカンス+温泉地です。テルメというのがイタリア語で温泉のことです。

古代ローマの遺跡に行くと、なんとかテルメ、ていうのがいっぱいあります。
カラカラ浴場とか、そういうのもテルメです。
今はシーズンオフなこともあって人はまばら。
ホテルって歴史的財産を引き継いでいるひとつの都市機能ですがここまでホテルだらけだと、街全体がヴァカンスのために存在しているかのようです。
ヴァカンス時期は人口2万人のこの町に、200万人が泊まれる数の宿泊施設が存在します。
すごいね。

実際、モンテカティーニ・テルメという町は起源は紀元前7世紀ですが1540年に初めて温泉ができて、

その後メディチ家のコジモ1世が乗っ取って、1700年代にはピエトロ・レオポルド大公によって街全体の整備が行われて、今ある温泉建築がだいたい全部できあがるのです。

こういった街全体がひとつの機能に集約していることがイタリアでは結構あります。
ヴェネツィアなんてこれの巨大バージョンかな、お祭りのための器と化している。
観光大国イタリアですが、それは今に始まった話ではないんですね。
もしくはヴァカンス地イタリア。


しかし、10月でだいたいどこも閉まってました・・・。
来年の夏のための下見さ! やー!

一箇所、テルトゥッチョという一番大きい温泉施設に潜入。
家具搬入の脇で物欲しげに見る捨てられた犬演出・・・というわけで入れてくれました。
誰も観光客はいないので、建物独り占め。
こういうの、結構好きです。
どういう風に機能してるかは、見られないけど、建築家の言葉を借りると
「建築との対話」ですね、あーきも。

ガスペロ・マリア・パオレッティという建築家の作品です。
1779-1781建造。

借景!円形の噴水から少し離れたもう一箇所の温泉施設のロッジアが見えます。
すごく明快で、仕掛けがハッピーで、状態もきれいでした。

ついでに、モンテカティーニ・テルメの駅、カッコイイ。
モダニズム・機能主義の建築家アンジョロ・マッツォーニ設計。

ヴェネツィアとかトレント、シエナとか、駅、結構作ってます。
フィレンツェ、ローマの駅もちょっと参加。

なるほど、だからイタリアの駅ってどこも統一感があるのか・・・なるほど。


この駅には住宅がひっついてます。

2007/10/21

市壁跡地





12番のバスに乗って、フィレンツェの市壁跡地沿いをゆく。

フィレンツェの市壁(最終市壁)はもうほとんどないです、が星形の壁の角に位置するところにあった
城門はモニュメンタル化して残っております。
この手法は完全にパリの真似なんだけどね。

■ローマ門 Porta Romana 
フィレンツェの市壁の一番南にある城門。ローマに通づる、だからローマ門。わかりやすいですね。
1326年建造。

■サン・ニコロ門 Porta S. Niccolò

1324年建造。都市改造後、城門の周辺は広場化(Piazza Giuseppe Poggi)された。

19世紀の都市改造の際に小高い丘につくられた

建築家ジュゼッペ・ポッジによるミケランジェロ広場に繋がっている。


■クローチェ門 Porta alla Croce

1284年建造。ベッカリア広場の中心。

パリのエトワール広場を模したという図版が残っている・・・が。

この広場は完全なロータリーじゃなくてYの字に貫通してます。


■サン・ガッロ門 Porta S. Gallo
1285年建造。フィレンツェの市壁の最北、自由広場に位置する門。

その後ろに1700年代にフランス人建築家によってつくられた凱旋門が並ぶ。

その二つのアーチとそこから中心地に伸びている通りの軸線がずれてるんだけどなんでだろう・・・?


他にももうちょっとあります。



城門のモニュメンタル化といってもその門の種類によって
モニュメンタル化の方法を変えてもよかったんじゃないか、と思ってしまいます。

2007/10/05

大学潜入

やっとこさ大学に潜入しました。 フィレンツェ大学には建築学部(facoltà)があって、 その中でさらに5つくらの学科(departimento)にわかれています。 今、論文でやろうとしているのは都市計画史なのですが 興味としてはやっぱり今、何が行われているか、にある。 今日、専門の授業に潜入してきました。 が、都市計画の理論についての授業で最終的に小論文を書く、みたいな授業で さすがに難しすぎたw でもやはりこちらでもパトリック・ゲデス、エベネザー・ハワード、ルイス・マンフォードが基礎になってるみたいです。 あー、日本語訳の本を送らねば・・・。

2007/09/19

遊牧民のススメ

どうやら「遊牧民」と英語のnomadは少々意味が違うらしい。 遊「牧」というからにはやはり牧草を求めて馬やら牛やらといった家畜をつれてふらふらしなければならない。それが生業であるのだ。英語のnomadには、それプラスジプシーの意味もある。放浪者、流浪人てとこか。 はっ。ということは私はジプシーに近いのでは!あれは共食いだったのか! それはさておき、遊牧民が歴史的に大きい影響を与えたことといえば 騎馬技術を獲得したことにある。軍事で役に立ったんだね。 遊牧民の特徴。 1. 一箇所に定住することなく、居住地を変えながら生活する    ただあてもなく放浪するのではなくて一年を通して巡回する。    拡大家族単位で占有地を持っているのが普通。冬には集団生活をして寒さをしのぐこともある。 2. 交易活動を盛んに行う    ミルク・毛皮・肉類は容易に手にはいるが、穀物・工芸品を手に入れるのは困難なため岩塩や毛皮といった遠隔地交易品をキャラバンを通して売買し、生計を立てる。 ふむ。 一年を通して巡回、てのがポイント。現代の遊牧民は冬の休みはないが。 珍しいものを売りつけるのも今も昔も変わらず。 興味深いのはコレ 中央ユーラシア遊牧民の文化的特徴 1. 徹底した実力主義 2. 人命(人材)の尊重 3. 非完結の社会   定住する人たちともうまくやってかないといけないから自分たちの社会では完結できないということ。   領域内に農耕都市を抱える。 4. あり様がそのまま武力に直結している 結構かしこい生き方ですね。やっぱり遊牧魂あなどるなかれ。 現代の遊牧民もはっきりいってものすごく当てはまる気がします。 その分析についてはまた次回。