2008/01/04

Bonne Année !







新年明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


1月1日早々、墓参り(?)。

パリ市内の北東に位置する墓地、ペール・ラシェーズ(Cimetière du Père Lachaise)に行ってきました。

19世紀のパリ近代都市改造の立役者、ジョルジュ・ウジェーヌ・オスマン指揮。

本人のお墓もあります。

ここのお墓はかなり著名な人間が埋まっていて家族ごとに小さい礼拝堂のようなものがあります。

入り口から奥に向かって起伏があり、上に登って下を見下ろすと、とってもキレイな眺め。


敷地はかなり広く、43,930㎡。墓石どうしも結構幅があるので、あんまり気味の悪い感じはしません。

公園に近い。

もちろん、日本人にとっての気味の悪さはひゅー、どろどろ~、てやつですが。


この時期に建設された公園がイギリス式庭園の手法をとっているように

この墓地でもフランス的幾何学の区割りではなくゆるやかなカーブを描く小道で構成されています。

でも中心にびゅっ、て大きい通りを貫くのはやっぱりフランスだからかな?


ちなみに、この墓地、レンタルらしいです。

30年ごとに家族が支払いをするんだって。

払えなくなったら掘り起こして移動するらしいです、ぎょー。

2007/12/03

フィレンツェ・クリスマス仕様






Natale Natale!

オンニサンティが終わるともう後残すビッグイベントは
ナターレ(クリスマス)のみ!

てなわけで11月終わりからは
街の中心はイルミネーションできらきら。

ブランド通りのショーウィンドウは
いつもより気合いが入って
プレゼントモード。
夜は散歩に出る人がいつもより増えて
街がざわざわ。

写真1) もう少しで暗くなるぞ。アルノ川が一番キレイな瞬間。
写真2) カルツァイウオーリ通り。19世紀に幅員広げてよかったんじゃない!?
写真3) 一歩入ったブランド通り
写真4) 共通のデコレーション。コムーネの仕事なのかしら?

2007/11/08

熱海@イタリア







モンテカティーニ・テルメという小さな町に行きました。


フィレンツェから電車で小一時間。
ヨーロッパでは屈指のヴァカンス+温泉地です。テルメというのがイタリア語で温泉のことです。

古代ローマの遺跡に行くと、なんとかテルメ、ていうのがいっぱいあります。
カラカラ浴場とか、そういうのもテルメです。
今はシーズンオフなこともあって人はまばら。
ホテルって歴史的財産を引き継いでいるひとつの都市機能ですがここまでホテルだらけだと、街全体がヴァカンスのために存在しているかのようです。
ヴァカンス時期は人口2万人のこの町に、200万人が泊まれる数の宿泊施設が存在します。
すごいね。

実際、モンテカティーニ・テルメという町は起源は紀元前7世紀ですが1540年に初めて温泉ができて、

その後メディチ家のコジモ1世が乗っ取って、1700年代にはピエトロ・レオポルド大公によって街全体の整備が行われて、今ある温泉建築がだいたい全部できあがるのです。

こういった街全体がひとつの機能に集約していることがイタリアでは結構あります。
ヴェネツィアなんてこれの巨大バージョンかな、お祭りのための器と化している。
観光大国イタリアですが、それは今に始まった話ではないんですね。
もしくはヴァカンス地イタリア。


しかし、10月でだいたいどこも閉まってました・・・。
来年の夏のための下見さ! やー!

一箇所、テルトゥッチョという一番大きい温泉施設に潜入。
家具搬入の脇で物欲しげに見る捨てられた犬演出・・・というわけで入れてくれました。
誰も観光客はいないので、建物独り占め。
こういうの、結構好きです。
どういう風に機能してるかは、見られないけど、建築家の言葉を借りると
「建築との対話」ですね、あーきも。

ガスペロ・マリア・パオレッティという建築家の作品です。
1779-1781建造。

借景!円形の噴水から少し離れたもう一箇所の温泉施設のロッジアが見えます。
すごく明快で、仕掛けがハッピーで、状態もきれいでした。

ついでに、モンテカティーニ・テルメの駅、カッコイイ。
モダニズム・機能主義の建築家アンジョロ・マッツォーニ設計。

ヴェネツィアとかトレント、シエナとか、駅、結構作ってます。
フィレンツェ、ローマの駅もちょっと参加。

なるほど、だからイタリアの駅ってどこも統一感があるのか・・・なるほど。


この駅には住宅がひっついてます。

2007/10/21

市壁跡地





12番のバスに乗って、フィレンツェの市壁跡地沿いをゆく。

フィレンツェの市壁(最終市壁)はもうほとんどないです、が星形の壁の角に位置するところにあった
城門はモニュメンタル化して残っております。
この手法は完全にパリの真似なんだけどね。

■ローマ門 Porta Romana 
フィレンツェの市壁の一番南にある城門。ローマに通づる、だからローマ門。わかりやすいですね。
1326年建造。

■サン・ニコロ門 Porta S. Niccolò

1324年建造。都市改造後、城門の周辺は広場化(Piazza Giuseppe Poggi)された。

19世紀の都市改造の際に小高い丘につくられた

建築家ジュゼッペ・ポッジによるミケランジェロ広場に繋がっている。


■クローチェ門 Porta alla Croce

1284年建造。ベッカリア広場の中心。

パリのエトワール広場を模したという図版が残っている・・・が。

この広場は完全なロータリーじゃなくてYの字に貫通してます。


■サン・ガッロ門 Porta S. Gallo
1285年建造。フィレンツェの市壁の最北、自由広場に位置する門。

その後ろに1700年代にフランス人建築家によってつくられた凱旋門が並ぶ。

その二つのアーチとそこから中心地に伸びている通りの軸線がずれてるんだけどなんでだろう・・・?


他にももうちょっとあります。



城門のモニュメンタル化といってもその門の種類によって
モニュメンタル化の方法を変えてもよかったんじゃないか、と思ってしまいます。